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Takeshi Kakeda (tkskkd)
kakeda at zensow.jp
Japan - Ehime - Matsuyama

分離→統合を進めて全体性を取り戻すいきいきデザイナー&プラクティショナー&エヴァンジェリスト
アジャイル(22年)、パタン・ランゲージ(13年)、パーマカルチャー(15年)、ビオトープガーデニング(10年)、ウルトラ&トレイルラン、メンタルモデル探求、乱読書、生態系保全、心身一如、自分、他者、すべての生物の「いのちを活かす」ための活動をしています。 個人やチームのアジャイルメンタリング&コンサルティング、メンタルモデル紐解き、個人・チームの心身の健康カイゼン支援、などなど。

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「バランス・調和が大事」というと当たり前のように聞こえてピンと来ない人が多そう。調和を保ち続けることって常にセンシングを行って微調整を繰り返し続ける行為でだし、そもそもセンサーが機能してないと成立しない。何もせずに「バランス」は保てないので高度なんだけどな。

四国で田舎度高そうなのにタガメやらゲンゴロウやらが壊滅的にいなくなったのはなぜかと考えてみたが(1) 急峻で水田がそもそも少ない、(2)傾斜地で柑橘栽培が盛んなので農薬が多く使われ水の流れとともに流入して壊滅した、というのが臭いと思っているがすでに考察した人いないかな?

ここ数年考えているのはまさにこれ(映像化してみたい)。「自分」だと思ってる肉体は最終的にはまた他の生へと繋がる。庭の生命の連鎖を見ていてもいつも感じるし、輪廻転生とか言わなくても科学的にみてもまったくその通りなんだよね。https://qr.ae/pG47ya

今年の四国は梅雨前線に少し無視されてるのかな?と思うくらい雨降る降る詐欺が多いかもしれん。石手川ダムの貯水量は90%切っていた。

スクフェス大阪で発表した『個人から始める変化』への入口

分離から統合への道のりの経過発表

1 min read

昨年に引き続き、スクフェス大阪で四国トラックで発表させてもらいました。

今回の登壇は「四国らしさとは何か?」という問いに、Agile459のメンバーが「IKIGAI」を上げてくれたのをきっかけに構成したものです。

2015年にIKIGAI(マップ)に出会い、2020年にマルチ・ポテンシャライトに出会って、それらを使って自分の内面を探求したり、それを人と分かち合うことをやってきました。そして昨年『ザ・メンタルモデル』に出会い「本当の意味で」自分の内側を探求するという体験をしてきました。今回はその一端を共有できればと思い発表しました。

 

個人から始める変化〜 IKIGAIマップ、マルチ・ポテンシャライト、ザ・メンタルモデルを入口にして〜(公開変更版)

 

IKIGAIマップは、現在の自分の外側の世界の現われですが、その裏で自分を「いい・わるい」と境界を引いている線は自分を分離しているナイフです。そして生存適合OS・メンタルモデルは、その自分を分離するナイフ、外側の世界を作り出す信念です。

人は痛みを抱えて、それを二度と味合わないように見事なまでの生存適合OSと呼ばれる無意識の反応を作り上げます。無意識に作り上げるため、顕在意識で認知することはできず、あたかもそれが正当な行動であると理由をつけて振る舞います。

痛みを回避するために続ける行動が、破綻しつつあり結局痛みを再生してしまうという「不本意な現実」です。その無意識の生存適合OSによる痛みの回避行動が人生を作り上げているというのが、メンタルモデルの主張するところであり、メンタルモデルの提唱者である由佐さんが15年、1000人以上との向き合った結果から見いだされた仮説です。

自分のこの10年をふりかえってみると、東京から地方に移住したことで、メンタルモデルの発達段階で言うところの適合期から直面期へとステージが明らかに移行しました。そして、この数年はその直面期にぶつかって必然的に内面に意識がむかざるを得ませんでした。

そのプロセスが、あるときは「IKIGAIマッピング」であり、ある時は「マルチ・ポテンシャライト」の考え方でした。そのようにして七転八倒した結果、自分なりの自己統合期に差し掛かってきたか?というときに、『ザ・メンタルモデル』と出会いました。

q?_encoding=UTF8&ASIN=B07XQ81LP9&Format=_SL160_&ID=AsinImage&MarketPlace=JP&ServiceVersion=20070822&WS=1&tag=giantech-22&language=ja_JP

 

『ザ・メンタルモデル』でも紹介されている痛みの源泉を紐解いていくプロセスは、実際に私も体験したり他の方の紐解きを目の当たりにして、本当にいろいろな人が、様々な痛みと無自覚な信念を抱えて生きているんだなということを体験しました。

そのような経験を踏まえて「内的世界が外側の現実を作っている」という由佐さんの仮説が腹におちたのです。

本セッションは、メンタルモデルのすべてを伝えることはできませんでしたが、内的世界(=自分の痛み)に目を向けて、無意識の適合OSが不本意な現実を作っている、という可能性に目を向けてもらうきっかけになればと思い行いました。

IKIGAIマッピングで描いた現実も、自己分離も、すべて自分の内面にある信念が作り出しているのかもしれません。

逆にいえば、「信念を書き換えること」で、自分の行動は変わり、結果として現実は変わります。

日本のアジャイル界で言い伝え続けられてきた、Kent Beckの言葉、

Social change starts with you.

は、まさにそのとおりなのです。

個人的には「組織やチームの不本意な現実」も、その構成メンバーの内的世界が作り上げているのではないかと言う仮説をもっています。そうなると、現実を変えるために新しい何かをするよりも「個人・集団の内的世界」に気づき、「無自覚の信念」を書き換えることで、異なる現実を作り出せるのではないか、という可能性もあると感じています。

 

しかし、究極は組織・企業がどうあるかではなく「その人がその人の生きたい人生を送れているかどうか」が最も重要な点です。

参加者の皆さんが「自分の生命をまっとうする」きっかけになれば幸いです。

引き続きメンタルモデルは学んでいきますので、またどこかの機会で取り上げる予定です。

「人の生存と豊かさ」に囚われて様々なものを犠牲にしてここまでやってきたけど、結果的に自身の生存の危機にさらされているということなのか。人の「意志」を「保身」のために使うと最終的にはいい結果にならないということなのだろう。「意志」は「世界の保全・回復」のために存在するのではないか。

人が行う人のための行為のほとんどが「構造破壊変換」行為なんだ。なぜなら「構造の保全」ということを考えておらずその時、人の頭の中にある「目的の達成」しか見えていないから。構造や自然を破壊しようなど思ってなくても結果的に破壊してしまう。それは「人が周囲の世界とつながっていない」ため。

「褒めるは上から目線か」問題。褒めるという行為による依存性を回避したいのかな。自分は誰かの何か(子供でも大人でも)を見て「凄い!」と言ってる。褒める(相手への行為)ではなく自分の感情を表現してる(つもり)。https://qr.ae/pGPYE4

「傍流志向」というキーワードが浮かんできたので、少しまとめてみた。https://scrapbox.io/tkskkd-world/%E5%82%8D%E6%B5%81

今年の頭くらいに数秘術にハマってPythonで鑑定スクリプト書いておいたのだけど、また使う機会があったので今度はさくっとWeb化してherokuとかに置いて自分で鑑定できるようにしようかなぁ。フロントエンドだけで完結するように作り直してもいいかもしれない。

生き残るための変化と、さらなる表現のための変化は違うのではないか仮説。リアクティブな変化ではなく生を全うしようとするための変化。同じ変化でも両者を混同すると本質が見えなくなるのではないか。

昨日から、"Don't Think, Feel"のことを"DTF"と略して呼ぶようにすることを決めました(特定の人物との間に限る)

「戦い」や「戦闘」のメタファーを使いがちが点が、現実の人類の「戦い」が終わらない理由の現れなのかもしれない。「戦い」のメタファーが不要な世界がくるといいね。

娘が『東京リベンジャーズ』のアニメにハマってるらしく自分はマガジン連載をずっと読んでいるので話やキャラがわかり娘との共通の話題ができて嬉しい。推しキャラがいつも死んでしまうと嘆く娘に「あ、〇〇は死なないから安心して推していいよ」とだけ伝えておいた。

信頼ってどんな結果になっても相手を受け入れられるということではないのかな。結果によって「期待してたのに裏切られた」というのは条件付き。信頼は言い換えると「無条件の愛」に等しいのでは?という理解。