栄枯盛衰。ここから何を学ぶのだろう?トヨタの物言いが鼻についたけど。https://
この件どなたが絡んでるのだろう? http://
自分は主流ではなく主流が見残したものを拾っていく落ち穂拾い担当の傍流なんだけど、傍流っていうといまいちイメージよくないので別のイケてる名前が欲しい。mainからforkして勝手に育っていっていつしか別のプロダクトになってしまうイメージ。
思えば「翻訳の質が。。。」と感じていたがゆえに絶版の機会に新訳という機会を得られたという見方もできるので、新訳し直して出版できている本についてはよかったのではないかという気がしている。同じ様に未邦訳の本は時代が来てから翻訳するというタイミング合わせの考え方もできるのかもしれない。
一寸の虫や一株の草にすら生命を見いだせる人が増えると世界はもっと豊かになるんじゃないかと最近よく思う。人が人類以外を自分の利用可能な道具としてだけでなく共に生きる仲間と見ることができれば見方はガラッと変わる。メンタルモデルがひとりぼっちモデルの人だけかもしれないが信じる。
昔からオリジナルにこだわること、他と同じようなことをやることに対して物凄い抵抗感があった。コミュニティのマッシュアップブームだった頃に「それでオリジナリティはあるのか?」とか一人で食いついていた気がするけど、この「オリジナリティ」にこだわるという特性はどこからくるのだろうか?
制約にがんじがらめにされてその中でどうにか工夫してきた世代と、制約がとっぱらわれて好きなようにできる(と思える)世代では、考え方もやり方も変わるだろうなー。「困り方が足りない」というパワーワードを思い出す。。。
未分化でふわふわしているときは、全体を保ちながら分化して整理しながら進まないといけないけど、分化が進みすぎた段階では断片化しないように全体に統合しないといけない。バラした後にまたくっつけるのでなく、分化することと一つであろうとすることは常に同時でないと全体性が失われる。
無意識を意識化、当たり前や前提を見直してみることなのだろうな。"観念が無意識の常識から外れて「考え」の一つになれば、そこで初めて議論が可能になります。" https://
断片化されたものを全体にまとめるとひとつになるが未分化でカオスで正解はなくなりぐちゃぐちゃしながら進むと時間が経つにつれて段々整理されてくる。再び分化が始まり詳細化されるが分化されたものが全体として統合されないと分断が始まり断片化してバラバラになりまたどこかで全体として一になる。
予防でなく被害が出てからでは遅いですがここに予算を投じれないのか。なんでもそうだけど明らかになった後の対応コストは予防の何倍もかかるどころか不可逆なことも。https://
早起きして子供達と釣り(ボウズだけど)→低山縦走(2時間くらいだけど)→温泉♨️→ランチ鯛飯を決めたら、まだ明るいのに一日終わった気分になった。
便利さとはどの程度だろう? 松山は岡山・広島ほどではないが及第点だとは思うが、最近ジュンク堂とT-mountainくらいしかいかないのでわからん。あ、映画見たい時に映画館ないと困るかもなぁ。サイゼリヤはない。https://
短い振り出し竿に小さめのリールとライトなルアーを買ったので海まで走っていくRun&Fishingが試せそう。課題は海までは近くても10kmあることなんだが、まぁ時間だけ確保したらいけるかな?問題は釣った魚の扱い。一匹なら背負って持って帰れるかな?(釣れる前提でいいのか問題)
なんか気に入ったので、これから forgotten xper の通り名使おうかなぁ。。。 #忘れられたXPer