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植物の存在、そして完全性

素足で歩く。

小石が落ちていると痛い、当たり前のこと。

アスファルトが荒れていると痛い、当たり前のこと。

地面に草が生えていると、途端にそこは楽園になる。

足裏と草花が触れる時、そこには優しさがある。

ああ、そこに生えていてくれてありがとう、と心から安堵する。

草花はどんなものであれ、土を覆い尽くして、土壌を守り、動物たちに優しい絨毯を提供し、自らの身体を差し出して、動物たちの生きる糧となる。朽ちた体は再び土に戻り、次の世代を育む糧となる。

その存在は完璧で無駄がない。

いつから雑草という名が生まれ、人は草花から離れてしまったのだろう?忌み嫌われ取り除かれる存在となったのだろう?

その完全性に気づかない人の曇った眼差しは、自分自身の完全性にも気づかないままなのかもしれない。

『ザ・メンタルモデルワークブック』の読書会をやってみた (第0回)

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12/16に『ザ・メンタルモデルワークブック』の読書会をやってみました。

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10人の参加者が集まりDiscordサーバー上で「まえがき」と「あとがき」を皆で音読してこの本の中身について味わいました。事前に一緒にやろうよと声をかけておいたチブさんが場をいろいろ観てくれていたのでだいぶ気楽にできました。ありがとう!

まだ具体的ワークははじめて無いのでモヤモヤもある方もいますが、そのもやもやを感じながら楽しんでいきましょう!

その2週間後の12/29に、当日参加できなかった方、新しく参加した方で補講(同じ内容をもう一度)をやってみました。

少人数ならではのディープな話ができました。少ないのもいいなー。

 

本題のワークは2022年からです。今からでもぜひ一緒にやりましょう。

月1の読書会ですが、補講という形で2回やってもいいじゃない!という新たな気づきがありました。 来年、ゆるゆると始めていきますので、ご興味のある方は、ぜひこちらまでー!

https://thementalmodel.connpass.com/

分離から統合に至る2つの内省アプローチ〜XPとザ・メンタルモデル

自分を観ると、世界が変わる、かもしれない!?

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この一年くらい、『ザ・メンタルモデル』(以下、TMM)を学んでいました。その流れでザ・メンタルモデル・ワークブック(TMMW)の読書会を始めることにしたのですが、読書会に先立ってなぜやるのかの話をもう少ししておきます。

Kent Beckの内省〜インテグリティの実現

自己内省というとすぐに思い出すのは、『エクストリーム・プログラミング』(XP本)のKent Beckのことです。 KentはXP本の中で内面の探求について言及しており、私は数年前にそのことに気づいて非常に大きな影響を受けてきました。

https://www.slideshare.net/kkd/about-annotatedbibliographyinx-pver3

KentはXP本の中で次のように書いています。

私はプログラマーの生活をよくするためにXPを体系化した。体系化しているうちに、XPは世界における私のあり方を決めるものになった。けれどもそれは、私自身の価値について考えさせ、それに合わせた行動を求めるようなあり方だ。最初に私自身を改善しなければ、何も改善されない。そのことを私は発見した。

XPの鍵は誠実性(integrity)だ。本当の価値と調和のとれた行動をすることだ。誠実性を目標にした途端、私は実際の自分の価値が世界から持っていると思われたい自分の価値ではないことに気づいた。この5年間は、実際の自分の価値を自分の持ちたい価値に変える旅だった。

ここで、Kentは「自分自信を改善しなければ、何も改善されない」と述べています。ここでの「改善」は何を指すかというと「 実際の自分の価値を自分の持ちたい価値に変える」ということです。そして「価値にあった行動に変えていく」ことをも意味しています。

Kentは「実際の自分の価値を、自分が持ちたいと価値に変える」というアプローチを行いました。図にしてみると、以下のような感じです。

 

自分の価値が、自分が持ちたいと思う価値ではない場合ギャップが生まれます。ここで言行不一致が生じることになります。

言行不一致の状態はDoingの状態です。自分が本当に大事ににしていることは違うのに、「こうするべき」行動を一所懸命行おうとします。しかしどこかでほころびが見え隠れします。言ってることと、やってることのズレがどうしても生じてきます。

言行不一致について無自覚な場合は単にほころびが見え隠れするだけですが、自覚的になると「自分自信を欺いている」に気づいてしまうのが苦しい点です。

「本当はこっちを大事にしたいのに、こうせざるを得ない」

「本当はこう行動したいのに、自分は実は別の価値を大事にしている」

このように、価値と行動の不一致は、自己を引き裂き分離させてしまいます。

一方、自分の価値を、自分が持ちたいと思う価値に書き換える、あるいは行動を価値に沿った行動に帰ることで、言行一致になり調和が生まれます。これがインテグリティです。

言行一致とはBeingの状態です。あり方とふるまいに一貫性があります。ブレはなく自分の中でのバランスもとれ調和が生まれます。自己の価値と行動が統合されています。

 

TMMの内省〜無意識のパターンを知って解放される

一方、TMMでは「自分の無自覚な信念(触れたくない痛みの回避行動)が作る構造を明らかにする」ことで、無自覚に行っていた回避行動を意識化して変容が可能であるとしています。これは「価値を変える」「価値にあった行動にかえる」というアプローチとは若干異なります。もう少し詳しく説明しましょう。

TMMでは、「痛みを回避するために作られた無自覚な信念(メンタルモデル)を元に生存適合OSが駆動している回避行動」が不本意な現実を作るとしています。

ここで言う痛みとは「ありのままの自分では受け入れられない」というものを起点としますが、ポイントは人それぞれで異なります。これについてはスクフェス大阪でやったワークの中で説明したメンタルモデルの類型に詳しいです。

この説明だけだとわかりにくいので例を出すと、何らかの原因で「自分の存在を否定される」経験をされた人が「ありのままの自分は価値はない」という信念を作り出します。そして無意識に「価値がある自分になる」ように駆り立ててらます。ここでは「価値がある自分になる」という行動が回避行動となります。

 

ここでポイントとなるのは「ありのままの自分は価値がない」という信念です。自分を痛みを回避し「痛みをなかったことにする」ために自分自信に言い聞かせているマントラです。TMMの用語でこのような状態を「自己分離している」と呼びます。

先の価値と行動の分離とは異なり、無意識にあるもの(痛み)をなかったことにしている、という意味での分離です。

この信念に基づく行動は一貫性があり合理的であり「痛みを回避する」という目的のために機能しています。この仕組みは生存するために自我が無意識に構築したものなので、そのままでは行動の選択の余地がありません

この信念が強固なまま行動したとしても不本意さはなくならず、結局痛みが再生される。上記の例であれば「価値がある自分になろうとする」行動だけしていますが、どんなに価値ある自分になろうとしても最終的には「自分には価値がない」に戻ってきます。ここに「不本意さ」が残り続けます。

顕在意識では「不本意(=残念)」なことが起きており、それをなんとかしたいと思っていますが、外部のアクションでを変えようと思っても変えることはできません。なぜなら無意識的には一貫性のある合理的構造で動いているので、そのパターンから離れることができないからです。そのため「なんで、いつもこうなっちゃうかなぁ」という不本意さが繰り返されます。

一方、TMMの仮説としては「自分の不本意な現実が作られる構造を知ることによって、生存適合OSという存在を認めつつ、不快感を感じたり、意識的に行動を変えたりすることで徐々に変容していく」という理解です。

 

自分の生存適合OSを理解していれば、自分のメンタルモデルにそぐわない行動(痛みに向き合う行動)を意識的に行うこともできます。ただ「痛み」自体は消えません。この不快な感じをなかったことにするのではなく感じることが重要です。そうすることで、それまで「痛みをひたすら回避」してきた生存適合OSの役割が薄れていき徐々に効力を失っていくとされています。

もちろん引き続き痛みを回避する生存適合OSのお世話になることもできます。決定的に違うのは行動の選択権は自分の意識下にあるという点です。

Kent Beckのアプローチと、TMMのアプローチは「自己の内面を探求する」「自己分離から統合へ向かう」という意味では似ています。

強いて違いを述べるなら「あるものを受容する」ということです。自分の中にあるものを無きものにしようとすると自己分離がおきます。「あるものはある」とただ認めるだけ自己受容をするだけです。

 

 

ここで言う「あるもの」とは、自分の嫌な部分や、なかったことにしたい痛みなど、自分から切り離された部分です。切り離された自分を統合することがTMMで最終的に実現したい自己統合です。

無理に「信念を書き換える」ということでもなく、自分を知って受容するだけですが、それだけのことが、実は人にとって一番大きな変化なのかもしれません。

自分を知ることで、世界が変わる、かもしれない!?

個人的にTMMが面白いと思う点は「スピリチュアル的な要素が少ない」という点です。これは由佐さんの経歴が「学習する組織」「システム思考」をベースとした組織開発にあるためかもしれません。システムの構造を見抜き、レバレッジポイントを見極めて、アクションを起こすという感覚に近いと感じます。

また、自分の内的構造を知ることは発見でもあり喜びでもあります。「あー、こういう構造になっていたのか。それじゃぁ、この行動しても仕方ないよね」というように、自分の無意識の行動の合理性に気づくことで、逆に自分を慈しむことができます。

自分の内的世界を観ることは「生きやすさ」に繋がり「行動の可能性を広げる」と感じています。

Kentはまず最初に自分の内面をみつめることで価値と行動の一貫性をつくるインテグリティの大事さを教えてくれました。TMMは内面を観て自己受容することで分離を統合に近づけ、自己を慈しみ生きやすくなることを教えてくれました。

そして、両者ともに自分の内的世界に目を向けることによって、結果として外的世界の変化に繋がるという点も似ています。

Kent Beckは「Social change starts with you.」という言葉を残しました。

私は上記の言葉を次のように書き直したいと思います。

Social change starts with understanding your inner world.

(ソーシャルチェンジは自分の内的世界を知ることで始まる)

まぁ、本当に変わるかはわかりませんがw、自分を知るのは楽しいですよ。あまり過度な期待や、深刻にならずに自分を知ることを目的に、一緒にこの仮説を探求したい人は、どうぞ↓まで!

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もち麦グラノラふたたび

イオンの棚から消えた小川生薬もち麦グラノーラを直販でゲットすることにした。

これで棚にあるかどうか一喜一憂しなくて良くなったので平和になった。あとはメーカーが製造中止しないことを祈るのみ。

僕たちのSOZO活動 2021.12.09

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今日は、週に一度の友人たちとの畑作業。

拾った石で作ったかまどで、焼き芋を作るのがこの季節の楽しみ。

今年は、作ってたさつまいもが何者かに盗らてしまって買ってこざるを得ないが、

廃材や収穫した作物の茎を燃やして、炭を作りそこにサツマイモを直接入れる。

その横でウッドガスストーブで火をおこし、自宅で不要になったヤカンに水を入れお湯を沸かす。

その間に、農作業を行っておく。火の番担当が頃合いを見計らって焼き芋をチェック。

「焼き芋、焼けたよ〜」と火の番担当が教えてくれた。

先週、火加減間違えて炭化してしまったサツマイモだが、

今回は火加減を調整して、食べごろに焼けた。

畑の横に生えていた木が工事で伐採されたので、

その丸太を持ってきて簡易的にこしらえたベンチに座りながら、サツマイモをほうばる。

火力が少なく手こずっていたお湯も沸いたので

インスタントコーヒーを淹れる。

煙に気をつけながらベンチに座り、

コーヒーを飲みながら,メタバースの生み出す未来について語った。

「今度は、転がってる剪定枝を組み合わせて、三本脚の自在鉤もどき作ってヤカンぶら下げようか?」

「いやいや、竹をそのまま使ったほうがいいんじゃない?」

「やっぱり、かまどは2つあったほうが便利だよね」

「石と石の間に泥をつめたらより固定されるのでは?」

「泥で高さを合わせれば、水平取りやすいのでは?」

そこにある材料、そこにある道具で、

自分たちがよりよくできることはなにか?何ができるか?を考える。

モノを買ってくれば、そこで終わり、用は足りる。

時間と引き換えに失うのは、自分で考える・試行錯誤する・工夫するという体験

結果が「うまくいく」、「うまくいかない」は関係ない。

うまくいけばよろこび、うまくいかなければ工夫して次を試す、

ただただ、それだけの体験。

自由に話し、自由に考え、自由に試す、これが僕たちのSOZO活動

ザ・メンタルモデル・ワークブックの読書会をはじめます

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なにするの?

『ザ・メンタルモデル・ワークブック』(略称TMMW)の読書会をはじめます。

ザ・メンタルモデルワークブック(TMMW)読書会

この本は、『ザ・メンタルモデル』(略称 TMM)で解説されている、痛みを回避するために出来上がった無自覚な信念である「メンタルモデル」に先立ち、「自分を観る」ことを行って「自己分離から統合」に向かう考え方・観かたをワークを通じて学びます。

いきなり「痛み、不安、恐れ」を観るのは誰しも抵抗感があります。その抵抗感を少しづつ取り去っていき、自分を観る ステップを提供してくれるのが、TMMWです。

ひとつずつ本書のワークをすすめていくことによって、「自分を丁寧に観る」ことができ、その結果として、仕事、家庭を含めたその人の人生が豊かになる、入り口になると私は信じています。

 

本について

TMMWのワークの内容は、もともとは著者の由佐さん、中村さんが提供しているJourney to the Source(JTS) 統合プログラムの一貫でした。私は昨年からこのJTSを受講し、本書のワークを数ヶ月かけて一通り実際に体験し、その場で「自分を観る」ことで「自己分離」に気づき、それを統合にむけ方向づけすることを体感しました。

TMMWは、JTSという有償プログラムの内容を一冊の本にまとめたという点でも大きな価値がありますし、著者の二人はその内容を多くの人に体験してほしいという願いがありこのような取り組みをされたそうです。

著者の中村さんに連絡をして、読書会について相談をして開催することにしました。

なぜやるのか?

ここで少し「なぜ本書の読書会を主催するのか」について簡単に述べておきます。

そもそもTWW(『ザ・メンタルモデル』)に興味を持ったのは、自分が直面期(自己分離している人生でいろいろ極まって困難にぶつかる時期)に移行して、一度自分のそれまでのものが瓦解していきました。そこから、外に目を向けるのでなく、内に目を向けることで囚われを少しづつ手放しながら再構築している段階でした。

購入して一旦積ん読しておいたTMMをふとしたきっかけで読んでみると、それまで薄々気づいていた事が書いてありました。

あっ!自分が辿ってきたのは、ここで言ってる直面期→自己統合期だったのかもしれない

と感じたのです。

しばらく、TMMを人にすすめることをしていたのですが、由佐さんの講座があると知って、その答え合わせをするためにJTSプログラムに飛びこみました。そのプログラムの中で気づいたのは、私が想像していた以上に「自己分離」が進んでいたことでした。

ここで言う「自己分離」とは、人生の中で「痛みと出会った時に、自分の生存のために、本来の自分にあるものを自分から切り離して、二度と痛みを味合わないように回避する」という意味を指します。

TMMの面白いところは、他人からみたら(本人でさえも)悩みや問題を抱えていなさそうな人ですら、痛みの回避行動で生きているということです。この痛みの回避行動で駆動している振る舞いの総称を、TMMでは生存適合OSと呼んでいます。

この「回避行動」というのが曲者で、たとえば、私自身もそれまで「自分の強み・個性」としてアイデンティティに感じていたものが、実は自己分離の末に生まれたものだと気づき衝撃を受けました。「人と違うことをしようとする・同じが嫌だ」という性格は、実は「本当はみんなと同じになりたかった(でもできなかった) 痛みから逃れるために「人と違ってもいい、むしろ、違うことがいいんだ!」という信念と克服行動を生み出していたという構造だったのです。(私の痛みは他にもいくつかありますが、ザ・メンタルモデル的には「ひとりぼっちモデル」が一番強いようです。)

由佐さんは、生存適合OSの呪縛から抜け出すために、痛みや無自覚な信念が引き起こす構造を知り「あるもの(痛み、信念、回避行動)があるんだね」と認めることが必要だと言っています。それらが「いい・悪い」とレッテルをつけるのではなく存在そのものを認めてあげることです。そうすることで、自分の行動を俯瞰的に見ることができるようになり、無意識ではなく意識的に行動の選択ができます。

由佐さんは、回避したくなる痛みは、自分がありたい世界の願いにつながる糸口であるとも言っています。つまり「痛み」とは「あるはずのものがない」痛みであり、自分が欲しかった「あるはずのものがある世界」を作り出していくことが、その人の願いだととらえます。

身体的な痛みもそうですが、痛みとはフィードバックであり、その痛みの奥の意味を読み解かなければ、人は痛みから逃げるか、無視するか、克服することしかできません。「いのちの願い」の存在を痛みが教えてくれていると考えれば、痛みを無視したりなかったことにするのでなく、痛みの存在を味わい、その奥にある、本来自分が望んでいた世界に向かう、という由佐さんの提唱する未来像に共感します。

TMMWのワークは、無自覚なまま人生を駆動している自分の仕組みを知る入り口と考えています。

また、そんな深刻にならなくても、自分の無意識の行動がどのように生まれているのかを知ることができると「そうだったのか!」という大発見です。そして、それまで自分を守ってきてくれた生存適合OSに「これまでありがとう、そしてこれからは自分で道を歩いて行くよ、さよなら」が言えるようになるんじゃないかと感じてます。

どうやるの?

読書会は、本を読み、ワークを行い、内容や疑問点、感想を分かち合う、という流れで進めていく予定です。

誰かの悩みを聞いて、誰かが解決するということはありません。ひたすらワークを通じて「自分を観ていく」ことを、一人ではなく、皆で一緒にやっていくということを繰り返します。私自身も、改めてワークを進めながら再度自己の分離を見ていくことにします。

TMMWに収められている12のワークは、きっちりやるのが目的ではなく、ワークを通じて自分の内面に起きたことを感じ取ることが大事だと述べられています。「このワークブックの使い方」というパートで次のようなことが書かれています。

このワークブックの説明として書いてあることも、鵜呑みにせずに、本当にそうなのかな?と疑ってかかってください。そして日常の自分の体験の中でそれを検証してみてください。書いてあることに合意する必要も、同意する必要もありません。自分の中に起きた洞察だけが自分にとっての真実を教えてくれています。常に外側にあるどんな正しさよりも、あなたにとっての真実の方が大切なのです。

「きっちり・正しくやろう」と考えるのでなく、疑問点や納得いかない点があってもいいのでやってみて、その結果を日常で自分の内面で検証し続けるということです。

ではワークを他の人とわかちあうことの意味はなんだろう?と考えてみると、自分だけでなく他者を知ることで、人間に対しての理解が深まるという点につきます。それぞれの人が抱えている不安、怖れに敏感になり、他者そして最も身近な自分を受容することに近づくと考えています。

大切なことは「感じること」です。頭で考えるのでなく、身体で感じることです。

進め方は、ひとまず上記のように仮置しています。この後どのように変わるかわかりませんが、何が起きてもいい、どんな体験があってもいい、そういうスタンスで、この読書会を開催していく予定です。

最後に

自己分離の統合について本気で学びたいのであれば、私のように由佐さんらの講座に参加するのが一番近道だと思います。

現在は、JTSプログラムは構成が変わって、以前のTMMWにあたるJTSプログラムは、本書をベースにしたラーニングサークルという講座になっています。

ラーニングサークルでは、TMMWのワークを由佐さんらと共に作り上げた三好さん、鈴木さんらが中心となって開催しています。私も受講の際に二人にお世話になりましたので、本読書会を通じて興味を持たれた方、より深めたい方は参加するのをお勧めします。

ラーニングサークルはすぐに満席になってしまうので、その前に自分なりにTMMWワークしておくのが良いと思います。その一つの手段として、本読書会が役に立てば幸いです。

読書会は以下になります。

https://thementalmodel.connpass.com/event/232132/

皆さんの参加をお待ちしています。

土日はいい天気だったのだけど家で畑の片付け

土日はいい天気だったのだけど家で畑の片付け
土日はいい天気だったのだけど家で畑の片付け
土日はいい天気だったのだけど家で畑の片付け

天気が良く山やガサガサに行きたかったがぐっと堪えて庭の畑の片付け。

今年はツユクサが大繁茂して大変だったが、なんとかスッキリさせた。

冬野菜の準備も着々と。でも写真はキクイモと生き物ばかりだなぁ。

畝のかたちも若干変えた。曼荼羅ガーデンβバージョン?

具象と抽象と身体知と

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ふと、次のような絵が浮かんだのでメモ。

こんなつぶやきをメモった後にひらめいた。

https://www.tkskkd.com/2021/100205617

思えば、具体の範囲と、抽象度の高さに加えて、身体知度(=知の質)という点もこだわりたいということに気づいた。

これらを3つの軸にすると次のような図になる。

具体の範囲は、具体的に知ってる領域のこと。これはその人の人生経験や他社の経験などの見聞に依存する。

抽象度は、具体を抽象化して考えられるかどうかのこと。抽象度を上げると、対象となる具体の範囲は広がるが、実際に具体に適用しているかは別になる。

最後に身体知度は「知の質」とそのまま表現したほうがいいのかとも思ったけど、あえて身体知の度合いとしてみた。これは本や他者の話などの外部化された知識(=形式知)により得たものであり、反対に身体知は実体験に基づいた身体に刻まれた知のこと。暗黙知と言ってもよいのだけど、身体に刻まれているという点を重視したいので身体知としてみた。

これらの3つの軸をできる限り増やしたいのが自分の欲求なんだなぁということに気づいた。そして他者と話をして知を共有する時には、集団としてこの立方体の体積を増やしたり、構築した立方体の中を自由に行き来できる範囲が重要なのではないかなぁ?

この立方体をknowledge cube(知の立方体)と呼ぼう。

今年の学びはツユクサの勢い

今年の学びはツユクサの勢い

昨年から庭の菜園で増え始めたツユクサ。食べれるし下草として保湿してくれるからそれほど気にしてなかったけど、今年は軽々2mくらいに伸びてつる植物並みに上がってきてジャングル化してコントロールできなかった。来年は気をつけねば。。。生成力はすごいんだけどなー。

クサネムと勘違いしていた

クサネムと勘違いしていた
クサネムと勘違いしていた

ずっとクサネムだと思っていたがある時裏を見たらこれはコミカンソウではないかと気づいた。葉っぱはマメ科っぽいんだけどなー。不思議。

左のガングリオンが育ってきた

左のガングリオンが育ってきた
左のガングリオンが育ってきた

もう10年以上落ち着いてたのだけど、最近また成長してきて邪魔になってきたなぁ。また整形外科に行って注射で中身抜いてもらおうかな。透明なゼリーが入ってます。

GETTAで一本歯下駄デビュー

一本歯下駄で自由に走れるようになりたいなぁ

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ずっと気になっていた一本歯下駄デビューをついにしました。 この1週間以上試してますがいい感じです。

https://getta-vl.jp/

基本は事務所と自宅の往復の間に片手にケトルベル12kg持ちながら移動するというトレーニングの一環で使います。 一度2km履いて走ってみたけど、思ったよりもキツかった。すぐにふくらはぎが筋肉痛になりました。

階段の登り下りが若干気を使いますが、それ以外は特に不便もなく履けてます。道路の通行待ちの時に静止するのが若干大変ですがこれも一つのトレーニングだと思ってやってますw。

GETTAは短い一本歯に、足半(あしなか)的な踵がないタイプの履き物なので、自然とふくらはぎに負荷がかかります。 元々、草鞋ではなく足半を編んで履こうと思っていたので一石二鳥でした。ベアフットランとかにもよいようです。

 

これで10kmくらい走れるようになったら、普通の一本歯下駄に切り替えようかな。

 

値段も手頃なので、気になる人は試してみるといいですねー。

SUUNTO 9 Peakとてもよい

SUUNTO 9 Peakとてもよい

電撃の発表でこれはと思い、珍しくすぐに買うことを決めた。1回目の発送には間に合わず2回目の発送でやっと届いた。

薄い、電池の持ちがいい、適度に小さい、充電速い、リストHRの精度がよい、無線でファーム更新できる、ストラップの固定が改良され使いやすい、spo2が計測できる(参考値)などSUUNTO 9 Baroの不満がほぼ解消されているのが凄い。

これまでAmbit、Ambit3 Peak、9 Baroと変えてきたけど間違いなくベストだなぁ。

機能的にはガーミン系の方が多機能な気もするけど、あっさりスマートウォッチの見た目なのにガチ山系ガジェットというギャップも良いね。

SUUNTOはここ数年Movescountというレガシーのサービスを抱えていて移行にかなりのリソースを注ぎ込んでた印象だけど、Movescountから移行が完了したので、またエンジニアリソースを主力製品に注ぎ込めるようになったのかな?ソフトの充実も是非頑張ってほしい。

 

ウルトラトレイル、ウルトラマラソン走りつつ、日常的にも身につけておきたい人におすすめ。

 

ガサガサ隊(2021/07/04)クロゲンの幼虫発見

ガサガサ隊(2021/07/04)クロゲンの幼虫発見
ガサガサ隊(2021/07/04)クロゲンの幼虫発見
ガサガサ隊(2021/07/04)クロゲンの幼虫発見
ガサガサ隊(2021/07/04)クロゲンの幼虫発見
ガサガサ隊(2021/07/04)クロゲンの幼虫発見

以前ガムシをみつけた溜池付近の水田を探索してみた。

ポイント的にはとてもよい環境のように見えるのだけど、ガサってみてもあまり生き物がいない。小型ゲンゴロウ系がもっといてもよいのだけどなー。

ただクロゲンゴロウの幼虫を見つけたので付近で繁殖してそうで安心した。(もちろんリリース)

ミズカマキリの幼生は沢山みかけたが、他の水生カメムシはあまり見当たらなかった。残念。

一部の掘り上げにドジョウがいる水田もあったが、多くは見た目ほど多様な生物は見られなかった。残念。

ガムシの幼虫には出会えず。。。

ガサガサ隊(2021/06/27)コガタノゲンゴロウ会いに、再び

ガサガサ隊(2021/06/27)コガタノゲンゴロウ会いに、再び
ガサガサ隊(2021/06/27)コガタノゲンゴロウ会いに、再び
ガサガサ隊(2021/06/27)コガタノゲンゴロウ会いに、再び
ガサガサ隊(2021/06/27)コガタノゲンゴロウ会いに、再び
ガサガサ隊(2021/06/27)コガタノゲンゴロウ会いに、再び

前週に時間切れで帰ってきた場所に、再び訪れた。

ため池はこの時期あまりいないので、近くの水田を中心に捜索してみた。

掘り上げに小型ゲンゴロウ類が大量にいた。シマゲンゴロウだけで何匹も!

ガムシの幼虫も発見し、息子も大喜び。

しかし、お目当てのコガタノゲンゴロウの幼虫も成虫も見当たらず。

水生カメムシ類はマツモムシ、ミズカマキリのみ。別の場所で一匹だけタイコウチもみつけた。

良さげな掘り上げも見つけたけどヤゴ類ばかりだった。うーむ、残念。