ゲド戦記、2巻まで読んだので次は3巻の再読へ。予想通り2007年当時よりも刺さる言葉が多く目につく。人生経験したせいかなぁ。次も楽しみ。
不用意なクラス化と無理なリファクタリングの結末が悲劇的に描かれていた。
https://
APL, Timeless, Oregonまでを参考にするのは普通として、NOOに行き着かない状況を「NOOの壁」と名付けたい。
バイオミミクリで生物を模倣して色々イノベーションだってのはいいんだけどアイデアを借りた生物のためになにかしてるのかな?もし何もしてないならアイデア泥棒と言われても言い返せない気がする。カタツムリの殻から学んだならカタツムリ保全の支援とかしたほうがよさそう。
上橋菜穂子さんもル=グィンさんも先住民への眼差しがあっての小説だから自分の心に刺さるのだろうなぁ。先住民の教えとか言い伝えとかを俯瞰してみれる文献はないのだろうか?一個一個追うのは大変だよなぁ。。
庭をいじるとたいてい翌日にはムクドリが訪れてなにやらついばんでいる。ムクドリはつがいで訪れるので見てて可愛いんだよね。でも洗濯物を干そうと近づくと逃げていってしまう(畝の横が物干し台)別に何もしやしないからそのままいてくれて構わないのだけどね。鳥に気持ちが伝えられればいいのにな。
昨日は菜園を整理したり苗を植えたりしてたらそれだけで14Kも歩いてた。ポカポカしていて本当にいい畑日和だったなぁ。
ゲド戦記1巻を久しぶりに再読した。力を持つものは力に溺れるのではなく知恵を持ち世界の均衡を保つことに再び気づけた。そして自分の影と対峙して合一するテーマは、自分の見たくない部分と向き合って戦うのではなく受け入れ統合するという実存的変容を描いていたことを再認識した。
昨日はじめてジブリのゲド戦記を通しで見たので公開当時に宣伝で配られてた「ゲドを読む」を久々に読み返していた。この小冊子でハマって映画そっちのけで原作を一気に読んだのだったなぁ。久しぶりに全巻通して読んでみたい。当時(2007年)より人生や先住民について学んだので楽しみ。
ほんとソフトウェアも道具も使ってみないと手触り感がわからない。カタログスペック、フィーチャーリスト、ユースケースから事前に見て「これは」と思っても実際に使ってみると「これじゃない」がいくらでもある。今はサブスクがあるから試しやすいのはいい時代にはなったのだなぁ。
人はなぜ会食を我慢できないのか?Do Foodはパターンでもあるので重要なのは重々承知だが、会食という手段に囚われ過ぎていないだろうか?会食は目的ではなく手段であるとするなら、何を目的とした手段なのか、という観点を真面目に考えてほしいと不真面目に思った。
人は成熟していくとどんどんエゴがなくなっていき、他人の評価や名声や承認欲求とかがなくなっていき目立たなくなってゆく。そういった人達で脚光を浴びた人だけが世に取り上げられて話題になる。でもきっとそういった人の後ろに何倍もの成熟した人達がいるのだろうなぁ。
ほんそれだよなぁ。SDGs謳ってるなら個人としてもなんらかの形で全てとは言わないまでも大半の目標について具現化してないと説得力なさすぎる。https://
畑で野菜を育てるって単に食料自給の観点だけでなく、身体活動を増やし土に触れることで大地と繋がって身体的・精神的なメリットが大きい。何より普通に驚きや発見があって楽しい。エンジニアのための農業本も必要?そのうちMakeシリーズで出すのかな?
@ogijun 野草はアクはあるけど美味しいよ。アカザ・シロザはおひたしでほうれん草的に、イヌビユは油で炒めるとかなりいけます。バッタも素揚げでエビみたいだけど、家族に不評で二度とやってません。。。