Skip to main content

圃場整備以前の水田は自然遷移を人為的に維持した人と生物が調和する理想的な環境だったのだなぁ。その環境に適応した生物たちがいただけとも考えられるけど多様性が違う。手掘りの水路、土で固めた畦、無農薬・除草剤の田んぼは地図では探せないので現地に行くしかないんだよなぁ。。。

ビオトープは生態系を再現・維持するものだけど「自然の遷移」には抗わないといけないので結局人の手が入らないといけないんだよね。矛盾しているけど受け入れないといけない。池なんて放っておいたら有機物がどんどん溜まってヘドロが蓄積し水深が浅くなって湿地化していくしね。

DDDというかドメインを知ることは、まち歩きつまり現況把握と整理と同義だと思うのだが参加のまちづくり入門参加した人にしか伝わらない?ドメイン知らないでシステム作るのって、まちをよく知らないで箱物だけ作るのと似てる。

ウェーダーとライフジャケット着てるからといって水に飛び込んじゃいかんよね、水が浸水してウェーダーの中を乾かすの大変なんだから!という話を息子にコンコンとした。自分で新聞紙突っ込んだりしてウェーダーの手入れを教えることができたのでよしとしよう。

ミニベロ(20inch)で長い坂を登ると疲れるんだなぁということを学んだ。全然進まないのに心拍は上がって損した気分w トレーニングにはいいかもしれない。

息子が楽しみにしてたので昼の1時間だけちょっとガサガサしにいったら、雨の後のせいか普段見かけないような生き物がうじゃうじゃいた。一番びっくりしたのは40cm越えのナマズ。あんな大きい魚が住宅地の横の川にいるんだから面白いね。ガサガサ動画を編集中。

小学校の流しをスポンジとクレンザーでゴシゴシ掃除してたら午前中だけですんごい歩いたことになってた。右手のApple Watchが反応してたのだなぁ。左手のsunnto9baroの歩数と5千歩ずれてたぞw

最近妻とジェンダー問題をよく話す。男性から認知できてない世界、両性が無意識に振る舞ってる世界があるなぁということに気づいて勉強になる。我が家も昔は家事を暗黙的に妻がメインでやると当人も無自覚に受け入れ頑張っていて自分ものっかってたなぁという話も。乗っかっていてごめんねと謝罪。

11年前のメルマガの記事をiki-ikiに転記するお仕事を終えた。まさか11年前の自分の書いた拙文をまじまじと読む日が来るとは思わなかったよ。。。お約束の誤記は訂正できたのでよしとしよう。

なにかに反応して感情が急激に湧いてきたら、すぐにその感情に流され反応するのでなく「この感情はどこから生まれたんだろう?」「何を意味しているのだろう?」とメタ認知してみる。感情を発散するだけでなく、内なる源が求めるものを実現するエネルギーに変換する。

諦めきれないもの、それがその人の人生で追い求める目的なのか、それとも過去への囚われなのか、どちらなのだろう?

雑草食は数年前から始めて庭にアカザ・シロザ、ノビル、エビスグサは移植して食してるが、スペアミント、ヤロウ、ヤマイモ、ニラ、シソ、サトイモ、ジャガイモあたりも勝手に生えてくるので、雑草と野菜の区別は曖昧になる。食べられるか・食べられないかの違いでしかないなぁ。

数年前に昆虫食に興味持って庭でショウリョウバッタ捕まえて素揚げして食べたらエビみたいで美味しかったっていったら友人にも家族にも白い目で見られた。ようやくそれほど変な目で見られない時代になってきたの?(今では虫を頂くのがかわいそうで逆に食べれないが。。。)

システム思考は枝廣さんの本がわかりやすかった https://amzn.to/3yUbCKN
そして個人的にはドネラの本が決定版だと思うんだけど https://amzn.to/34FUgDv
高江洲さんはこの本すすめてたな https://amzn.to/3glUBkf

不快をなくして快だけにするということは、片手落ちの世界(=不完全な体験しか得られない)を作ることかもしれない。無意識にそれに気づいている人は苦しいことに挑戦して達成感を味わったりするのかもしれない。