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11年前のメルマガの記事をiki-ikiに転記するお仕事を終えた。まさか11年前の自分の書いた拙文をまじまじと読む日が来るとは思わなかったよ。。。お約束の誤記は訂正できたのでよしとしよう。

なにかに反応して感情が急激に湧いてきたら、すぐにその感情に流され反応するのでなく「この感情はどこから生まれたんだろう?」「何を意味しているのだろう?」とメタ認知してみる。感情を発散するだけでなく、内なる源が求めるものを実現するエネルギーに変換する。

諦めきれないもの、それがその人の人生で追い求める目的なのか、それとも過去への囚われなのか、どちらなのだろう?

雑草食は数年前から始めて庭にアカザ・シロザ、ノビル、エビスグサは移植して食してるが、スペアミント、ヤロウ、ヤマイモ、ニラ、シソ、サトイモ、ジャガイモあたりも勝手に生えてくるので、雑草と野菜の区別は曖昧になる。食べられるか・食べられないかの違いでしかないなぁ。

数年前に昆虫食に興味持って庭でショウリョウバッタ捕まえて素揚げして食べたらエビみたいで美味しかったっていったら友人にも家族にも白い目で見られた。ようやくそれほど変な目で見られない時代になってきたの?(今では虫を頂くのがかわいそうで逆に食べれないが。。。)

システム思考は枝廣さんの本がわかりやすかった https://amzn.to/3yUbCKN
そして個人的にはドネラの本が決定版だと思うんだけど https://amzn.to/34FUgDv
高江洲さんはこの本すすめてたな https://amzn.to/3glUBkf

不快をなくして快だけにするということは、片手落ちの世界(=不完全な体験しか得られない)を作ることかもしれない。無意識にそれに気づいている人は苦しいことに挑戦して達成感を味わったりするのかもしれない。

痛みは不快だが「生きている実感」「身体の不具合」を教えてくれる。貧しさは苦しいが「生きるために本当に必要なのは何か」を教えてくれる。病気や怪我は辛いが「何事もない日常だけでありがたい」実感を教えてくれる。すべては相対によってわかるものであり、快・不快は合わせて体験する必要がある。

コロナ禍における東京五輪開催は、第二次世界大戦における原爆投下のように、世界の混乱期の象徴的な出来事として歴史に刻まれる運命なのだろうか?

ガサガサ隊(2021/05/30)山間部のため池

ガサガサ隊(2021/05/30)山間部のため池
ガサガサ隊(2021/05/30)山間部のため池
ガサガサ隊(2021/05/30)山間部のため池

本格的に次男と愛媛のタガメ捜索の旅にでかけはじめた。

まずは昨年あたりを付けた内子町某所の池数カ所。

山間なので水温が低く水草もまだ繁茂しておらず、生き物たちの活性が低いようだ。クロゲンを確認した。昨年確認できたガムシは今回は確認できず。

もう一箇所は畑の横の溜池。こちらもまだヒシは繁茂していなかった。昨年はクロゲンも確認できたが、今回は確認できず。ガムシ1匹と、ミズカマキリ多数を確認した。

ちょうど田んぼに水が入ったばかりなので、これから本番かな?

いずれも水性カメムシ類が少なく、タガメはあまり期待できないと感じた。

もう少し水温が上がってきたら再度チャレンジしてみたい。

SNSはFaceBookもTwitterもやめたいけど、使ってる人がいるのとそこでしかつながってない人がいるのでまだやめられない。早くIndieWebに皆を引き込まなければならないなぁ。

今年はタガメ里親に応募した。タガメの幼生を預かって成虫に育ててまた戻すという取り組み。引き続きタガメ捜索も続けるけど息子に本物のタガメを見せたいというのはある。アクアポニックスならぬタガメポニックスも実験してみたいな。

体力向上部という発想は凄くよいね。競争とか勝負とかではなく純粋に楽しむのが大事。これはパルクールの起源でもあるHébertismにつながる。https://www.asahi.com/articles/ASLC63F7XLC6UTQP00B.html

昨年タガメが営利目的の売買禁止になってから再びスイッチが入ってタガメ探索にでかけるようになった。愛媛でコガタノゲンゴロウは見つけられるんだけどタガメはさすがにいない。次男が6年生でまだ付き合ってくれるので今年もできるだけ探索しにいくぞぉ。最後のタガメ情報も聞いたけど諦めきれない。

『スタンドバイミー』を長男が見て「いいなぁ」と呟いていた。今は子供達があのような冒険ってやりづらい世の中だよな。自分も子供だけで遠出はもちろん、河原でキャンプ、沼に飛び込んで魚とったり、荒川沿に東京湾までママチャリでいくとかしてたんだよなぁ。