美容院で聞く「こなれ感」がわからないので調べてみたがやはりよくわからなかった。https://
ああああ、この本持ってた!よく読んだなぁ。この本のタガメのイラストが好きでした。https://
"他の人に何を要求すべきかは知っているが、自分自身に何を要求するかは知らない" 至言だ。。
かたくなに「俺は運動はしない!」と断言している人たちの心の内が知りたい。自分もそうだけど体育授業などで運動嫌いになる人は一定数いそうなのが残念。『BORN TO RUN』『ナチュラル・ボーン・ヒーローズ』『脳を鍛えるには運動しかない』『GO WILD』でかなり印象変わりました。
様々な体験で身体知という縦糸を得ること、体験以外から知識を得て横糸を得ること、体験と知識を織物にすること、様々な領域の知識や体験から鮮やかな色や柄の織物が生まれる。そうか、これがライフタペストリーなのか。
行動の前に観察が必要だし、観察の前に場から情報を感じ取る鋭敏な感覚が必要だし、感覚の前に自己と世界の在り方の問題があるので、結局自分の在り方から全て始まるという仮説に行き着いている。
コミュニティナース! 今年夏に行った雲南市にこんな人がいたのかぁ、凄い。https://
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たまたま自分が個性として得意な分野を他人にこれ見よがしにできた方が良いと勧めることはやめよう。それよりも自分の個性に気づきどう活かすか?に注力して欲しい。もちろん「なりたい自分」があるのなら止めはしないけど、自分らしさを見つけてからでも遅くないかもしれない。
環境が変われば自分も変わるしかないとも言えるけど、変化の質を考えた時に本人の個性を無視するほどの変化はあり得るのだろか?強制収容所みたいな環境だと生きるために己れを押し殺すことはありそうだけど。そのような中では未来への希望が唯一の生きる意味になるという話は有名だ。
自分が変わるのではなく自分が変わらなくていい環境に移るのが選択肢としては良いのではないのか?無理して変わってもその反動は必ず心や体に訪れる。自然に少しづつ自分ペースで変わっていけるのならいいけど。それがNOOの構造保存変容だよ。無理して変わるのは構造破壊変容。
自分がどんどん自ら変わってしまう個性の人だから他人に「あなたもどんどん変わりましょう」とはとてもいえない。自分にとってそれが自然だからできるのであって他人に不自然な行為を求めることはできない。むしろ「あなたは変わらなくていい」と言いたい。
食事の準備で玉ねぎ切っていて、その手をちゃんと洗わずに目をこすってしまい涙が止まらないという体験をこの一ヶ月で2回くらいしたのを思い出した。料理のあとは石鹸で手を洗おう。。。
自分の個性を他者に聞いていて気づいたのは、自分は「変わること」を恐れないというよりも過去に執着しないでむしろ次々と自ら変わっていくということだった。環境変化や目的に合わせて変わるというのだけでなく流れのようにどんどん変わっていく。そこには自分の意志すらもないのかもしれない。
スタンディングでずっと立ちっぱなし作業がよくないとわかったので、再びスタンディング用椅子を持ち出してきたのであった。。。机をまた作り直して足置き作ろうかな?