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久しぶりに真面目に生き物を飼って世話をして気づいたが人の世話が生殺与奪している生き物との関係性はあまりよくない感じがした。人は環境をある程度整える手伝いはしても世話を直接するのではなく、人も環境から利をもらい同じ環境に依存する対等の関係として生物と触れ合いたい。里山がまさそれか。

ポートランドでコブベンチ(土などで作る自作ベンチ)を作って町中においてる話あったな。まちを住人が自由にハックできるといい街になるかも(シティリペア) https://twitter.com/ohashimasaki/status/1414826981275799553?s=21

中埜さんが修復プロセスではなく修飾プロセスと呼ぶのはどうか?と言っていた。修復だと後戻りをイメージする人が多いからだそう。構造保存変容はこれまでの構造を保持したまま新しい構造を生成するので元に戻るイメージではないね、確かに。

自然環境保全っていうと森や川を守る的に捉える人多そうだけど、身近な自然環境は自分自身の身体だということに気づかない人が案外多そう。自然環境の破壊に無頓着な人は、身体という自然環境にも無頓着なのではないか仮説。逆に身体に目を向けると自分を取り巻く周辺環境にも目が向きやすくなるかな?

人がなにか行動を起こす前に様々な体験をしたり、考えたり、感じたりすることは、その人の内面に内在秩序(implicit order)を作っていくことなんだろう。時期がきたら展開(unfolding)していくが既に構造は内部に包み込まれていてどう進むかが決まっているのかもしれない。

タガメが売買・譲渡禁止になって、商売目的で飼ってた人がタガメを放棄するらしい。それで野良タガメが普通ならいそうもないところに出現するという仕組みだそう。なかなか難しい。

しばらく預かっていた某ゲンゴロウ幼虫たちをやっと引き渡せて肩の荷が降りた。相変わらずなぜあの住宅地の水田にいたかは謎だけど中干し前にいくらか救出できてよかった。

昨日から日差しが完全に夏になってきた。梅雨明け宣言出てなくても自分的には愛媛に夏が来たと認定。

何かについて「陰謀論」を語る人と、何かについて「トンデモ」だと切って捨てる人は、同類な気がする。

リチャード・ブロンソン氏の宇宙旅行の様子が動画で紹介されていた。これから民間の宇宙旅行が増えるそうだが彼らが宇宙にでて外から地球をみることで何が起きるのだろう?「ひゃっはー、すごい!」だけなの?多くの宇宙飛行士は宇宙から地球をみて意識が変わったそうだがそういうのが起こる?

各言語の情報圧縮率や発音速度からみた分析。これ面白いなぁ。カタカナ用語は日本語のよさをスポイルしてるのかもしれないなぁ。https://qr.ae/pGkQ4B

今朝家の裏をネコが歩いているなと思ってよくみたら顔が長い。犬とはまた違うのでハクビシン?と思ったけど顔が白くない。どうもタヌキらしい。そういえば先日も夜家の前を歩いている動物見かけたときも「ネコじゃないな」と感じたのだけどタヌキとは思わなかった。次はちゃんと写真か動画撮りたい

へー、ランダムでAIが作成した人の画像を表示するのかー。いそうだけど実在しない人の写真って不思議。。。 https://thispersondoesnotexist.com/

来週末に雲南市に行くのだけど、途中奥出雲付近で宿泊しようかと画策中。なつかしのサイクリングターミナルで一泊しようかな?ウルトラおろちまた走りたいなぁ。

最近なぜか交感神経優位なんだが、生き物を死なせないで預かるという責任感が無意識にプレッシャーになってたりするのかもしれないな。命を預かる、生き物を飼うって大変だなぁと改めて思う。