精神世界をエンジニアリングの観点で真面目に勉強するスピリチュアル勉強界を開きたくなってきた。シュタイナーさん頑張って説明してくれてるけどむずいよ。。。
地方に移住して10年過ぎて一つ言えることは山とか川とか海とか好きなら地方に住むのがいいよ、ということです。なぜかというと人口密度が圧倒的に違うからね。有名どころが混んでても場所探せばいくらでも空いてるところある。
これまで自分がうまくできてなかったことをなんとか今生でやり遂げるために苦労しているんだなぁと自分を叱咤激励している。自分の能力以上のことはできないから牛歩の歩みで絶望しながらもわずかに差し込む光に向かって進むしかない。。。
日本でKPTが流行った件、日本のエンジニアは真面目でつい問題にばかりフォーカスしてるので「もっと自己肯定しよう」という側面を強調したかったのと、「問題分析」にばかり時間を使ってるので行動からの学びを強調するためにKPTをススメてたね。要は日本の当時の背景・個性に合わせた使い方。
昔はよく知られていたやり方も時代が変われば忘れ去られていき、新しい人たちが新しいやり方を生み出していく。新しい人が同じような昔のやり方を見つけられればショートカットになるのかもしれんが古臭いと相手にされないので再発明される。その世代がその世代にあったやり方を創造していく継続的創造
それ以来何か自分の知識では理解できないものが出現したときに、それを否定するのではなく保留して受け入れるという態度が重要だと気付かされた。https://
ビータセンゲたちが『出現する未来』のなかで『水は答えを知っている』の話題に触れていて普通なら似非科学と切り捨てそうなところを否定しない態度に驚いたのを思い出す。https://
我が家のアシダカグモは自律型対G殲滅機であり、ネコハエトリは自律型対ハエ&カ殲滅機であるので、大切に扱わなければならないのです。充電いらないので優秀。思ったようには動いてくれないが自律型なので仕方ない。
相手の役に立とうとか、自分が情報整理しようとか、そういう「自分のためにすること」を一切廃して相手に対峙してはじめて「相手に寄り添っている」状態になるということを先日学んだよ。
心に余裕があって庭で洗濯物干す時間はよいなぁ。今日はキクイモの花にスズメが集まって遊んでいるのを見てひとりでニヤニヤしていた。そろそろ蚊も減ってきて過ごしやすい季節になってきたなぁ。
某所で話題のふりかえりの件「AがよいBが悪い」ではなく「今の状況により適切なものは何?」「今の自分たちが始めるにはどれから?」という問い立てが必要な気がする。道具は使い所が肝心。なぜKPTが日本で普及したのか、5 whysがメインにならなかった理由を考えてみるのもいいかも。
庭のものをどけたらゴキブリが沢山出てきてギョッとしたけど、庭の池に住むヌマガエルがぱくぱく食べているのをみて、自然はよくできてるなと感じた。
ある人が個性をいかせていないということが、その人だけの問題でなく世界全体の問題であると捉えると見方が変わるのかもしれない。
"そもそも開発者をスキルが高い,低いという単純な判断基準で見ることはどうかと思います.開発者はそれぞれ個性があり,いろいろな仕事を経験しています.長所もあれば短所もあります.XPで開発者間のコミュニケーションが増す結果として,今より自分の長所をもっと発揮できる可能性が広がるでしょう." http://
スコティッシュフォールドの耳って優勢遺伝の病気なのか。病気と個性の違いって何? https://