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世の中には「〜しなければならない」なんてことはひとつもなく、すべて単なる思い込みに過ぎない。どんなことも「自分の意志で〜を選択する」とすることが可能だとNVCで学んだ。すべては自由意志に任されている。

DXだーって言って色々のところに目移りするのでなく、自分たち自身をよくみつめてから動けばいいんじゃないかな。何をするかより、何がいまあるかの方が大事。

洗濯物を干すという行為に幸せを見出すようになったのはいつ頃からだろうか?子供たちの洋服、学校の体操服、お気に入りの洋服、その大きさに成長を感じる。子供が自立して数が少なると寂しくなる。屋外で干していると感じる季節。真夏の暑さ、春の暖かさ、雨の後の水滴、寒い朝のかじかむ指先。

昔の自分を顧みると余暇をすべて仕事に費やしていた時期があった。直接仕事でなくても調べもの、夜も残業か勉強会、土日はイベント。そんなんでよく家庭が回っていたと思う。妻に皺寄せ行ってたと今では妻と話せるようになった。恒常的に余白をすべて仕事に費やす時は立ち止まり自問してから進みたい。

『バガヴァッド・ギーター』を読みたくなって買おうと思ったが、色々あって選ぶの大変だね。岩波のは日本語だいぶ読みにくい感じがしたので(倒置法そのままみたい)もう一つ買ってみた。クリシュナとか聞くと自分は女神転生シリーズ思い出しちゃうね。。。世界の神話の登場人物のほとんどは女神転生で覚えたので役に立っている。

思考が現実を作るので、加齢だから体調悪いという思考が、実際の現実を作り出しているのかもしれない。少なくとも「俺は毎年最高を更新してる!」という思い込みで40代乗り切った。この先これが通用するかわからんけど、少なくとも心持ちは前向きで行く(中村天風方式ともいう)

ジュンク堂に行って会計の時にポイントN倍キャンペーンレシートを思い出すのを繰り返してる。。。

色々試してみたり、実現したり、積み上げてきた結果として「ああ、やっぱりこれはいらなかったね。これだけがあればいいんだね」と言うのはものすごく回り道をしているように思えるかもしれないが、全てはその体験を通じて得られたものであり、結果ではなくプロセスが大事なんだろうね。

『ザ・メンタルモデル』とスキーマ療法はかなり近いものを感じる。メンタルモデルの方は一見何の問題なくみえる人の裏に潜む回避行動の仕組みに踏み込むのだけど、スキーマ療法はその性質上生きづらさが顕在化してどうにもならない人を対象としているのだろう。

ありのままは大事だけど、ありのままに囚われると、そっちはそっちでおかしくなりそう。言葉としては自然体がいいのかもな。力が入ってない状態、緩みや脱力。筋肉がぷよぷよしてる感じ。囚われがない、緊張がない、恐れや不安がない、自分を丸ごと受け入れている。ジタバタせず結果に執着しない。

アレグザンダーが言うフィーリングがどこから生まれるか?それは「自分自身に繋がっているかどうか」に直結するのではという仮説。自分自身をジャッジして受容できていないとおそらくフィーリングは働かない。全体性とは自己を愛しエゴを鎮めてはじめて感じられるもの。

上手くやろうとか、下手しないようにとか考えるとろくなことにならない。効率とか成果なんて後からついてくるのでは?という感じだなー。体験とそこから得られる気づきや発見に重きを置く。あとは動機と意志の話もあるかー。

なんでも大抵は本の通りにやるよりも自分で試して失敗しないと気が済まなくて、失敗して「ああ、こうだったのか」と気づくというプロセス踏んでる気がするな。効率とか成果とかあまり気にしてない。色々わかったからいいじゃん?見たいな感じ。本に書いてないことを色々わかる方を優先してるのかな。

これ読んで昔PBブランドで安くなった製品が売れるとPBブランドを作ってる工場に勤める人が賃金が厳しくなったというような話を見たの思い出した。100均とかもこういう現象起こしてないかな? https://twitter.com/shinshinohara/status/1452132210539065346?s=21

内的世界が外側の世界を作る、ということがやっとわかってきた。内的世界を見ずにあれやこれやで外側の世界をなんとかしようと思ってもうまくいかないのは当然だよなぁ。U理論で言うところのオーセンティックリーダーもこれなんだろうが仕事云々ではなく「生き方を変える」レベル。