もしかすると「虫とか嫌い」って言う人は自分の本能的な何かを嫌悪しているのでは?と言う仮説。「嫌い=自分の嫌な部分の投影」という構造は対人では当てはまるが非人でもあり得るかもなぁ。誰かそういう研究してないかな?集合体恐怖症は。。。わからん。
以前十牛図の解説見てもなんとなくわかった?と言う感じだったが、今見ると「ああ、こういうことだよな」とスッと入ってきたのはメンタルモデルを学んでいたのが大きい。悟りとかは遥か彼方で届かないけどせめて無条件の愛を持って生きていたい。サブゴールは「自己愛=嫌いな人がいなくなる」
愛媛の選挙、だいぶ前から選挙活動して路上で見かけた方が落ちて、あまり見かけなかった二代目候補が当選してた。親の地盤持ってるのが強いのか、単に自民だからなのか、わからんけど。
本文と関係ないけどここのgood-cheap-fastのトライアングルいいな。https://
すぐに過去を否定して新しいものに移ろうとする癖はどの痛みからなのかを自分で見ていかないといけないなぁ。否定も肯定もなしにただ移りゆくだけなのに。何かを否定したくなるのは自分の何が分離してるのだろうなぁ?
2007年にサステナビリティと言う概念に出会い、システム思考、ナチュラルステップ、パーマカルチャーを学び始めた頃と比べたらSDGsが数多に広まっている今はキャズム超えたのかなと思わざるを得ない。もちろん表面的な部分も多いのは事実だろうけど時代の流れを感じる。
アジャイルマインド(思考)でななく、アジャイルハートあるいはスピリットが必要なんだなぁ
アジャイルとスピリチュアリティという勉強会でも始めようかな。XP2ndがここに一番近い。
自分は人から離れられるのが怖いので、それなら自分から離れてやる!という回避行動をしていた。「痛いのが嫌だから、少しでも痛みが楽になる」方策を選んでいたが結局痛みは再生される。痛みを回避するというそもそもの立ち位置を見直さないとこのループから逃れられない。
身体を自分が乗る車にたとえるならば、常に見栄えのいいピカピカの車にノリたい人もいれば、見た目ボロでも走ればいいし気にしないという人もいるので、各自「人生を目一杯ちゃんと走れる」ようにしておけばあとは好みでよいのではないだろうか。(機械論的たとえではない)
進まぬ仕事に自分の無力さを感じてばかりだが、あと一月なんとか走りきりたいなぁ。年末年始ゆっくり過ごすために。。。
この記事面白いね(1P目だけ)。相対見積からはじめた人が「絶対見積がいい」って感じた結果なのかな?「POが開発リーダーに指示する」というのもじわる。。。 https://
1人で学ぶのはいいのだけどそれを話せる人がいないとつまらないなぁ。話しあって高め合いたいという欲求は常にある。それすらも手放せるのかなぁ?
何をすれば良いのかはコンテキストが決定する。まずよく見て、何があるのかを見極め、一つずつ試していく。一度に複数のことをやってはいけない。コンテキストは刻々と変わっていく。そこに追従するために同じようによく見て、あるものを感じ、一つずつ試していく。あなたもコンテキストの一部。