今年は雑談を配信というか主催していこうと思うが、気軽に参加するのはTwitterのSpaceが一番やりやすいのかな?around.coはURL固定できるのでこれでもいいかもなー。DiscordもいいけどサーバーにJOINしないといけないのは抵抗感がある人もいそう。他にもあるかな?
ピクミンブルームでうちの近くの花を毎日早朝に咲かせてる通称「猛者」がいつもと違う時間帯に咲かせている姿を初めて確認した。暗くて見えなかったがおそらくご夫婦だろう。2人で歩いた方が咲かせやすいのでピクミンは夫婦で散歩という習慣を作るのにとても有効なツールだということを再認識した。
いつもより1時間遅く寝て、いつもより1時間遅く起きた元旦。いつもはフルーツとシリアルだけの朝食が、おせちやお餅を食べてお腹いっぱい。今日は特別でもいいかな。午後初詣行ったら石手寺まで淡路が峠経由で石手寺にもお参りの予定。いつもの走り初め兼初詣巡り。
この数年は大晦日は酒のんで紅白見てたら眠くなって落ちちゃうんだけど、今年は風呂入って冷水シャワー浴びてたら目が覚めて起きていられた。2022年まで起きられそうだな(子供)
紅白見てるが「そして伝説へ」は泣けてくる。。。俺の青春の1曲。。。すぎやまさんありがとう〜。
積読してた『人類はどこへいくのか』を読み始める。2021年最後に相応しい内容。3つのSは来年以降のライフテーマと重なる。https://
なぜ掃除をしているときに色々な言葉が降ってくるのか?という謎を解くために、探検隊はジャングルの奥地に旅立ったのであった。。。
アジャイルという言葉が指すものが年月と共に固定化してしまって「〜でなければならない」というものに変質してしまったのだとすると、それ自体を捉え直すという機会が必要なのかもなぁ。静的な形がないものに言葉を与えると、形が固定化されるのかという気持ち。
何かを知ったらそれを人に伝えたくなる衝動が湧き上がるのは、自分の中に何かあるのだろうなぁ。淡々とやり続けるのでは飽き足らず人に伝えて知ってほしい、使ってほしい、変わってほしいという願いがあるのかも。その割には伝えるの下手くそなのでその度に絶望している。
何かを強く否定したり拒絶する人は、その反応の奥に何があるのかを感じてみるといいよ。きっとその反応を引き起こすものがあるから、それを味わってみるといい。
わからないものをわからないまま保留する技術は大事かもしれない。わからないからと言って否定したり拒絶したりすると、その時点で選択肢が減ってしまう。自分にはわからないけど、いいのかもしれない、とすればそこに飛び込める。「わからない」という状態に恐れがあるのかもしれない。
トムブラウンJrの『ヴィジョン』の中に、人は自然の調和を整えるケア・テイカーであると書いてあって物凄く腹落ちしたのを思い出す。生きるだけでなく自分達以外の世話を自らの意思で実現できる。由佐さんは人はこの世の「生き物係」と呼んでいたけどほんとその通りだと思う。
パタン・ランゲージが誤解されているのを見るといたたまれなくなる。。。どうしてそうなった感もあるんだが、そういう状況に反応する自分の中に何かあるんだろうね。
自分はやりたくないけど、天から言われてるので仕方ないからやるのが、本来の意味の「でもやるんだよ」なんだろう。自分がやりたいからとか、儲かるからとか、そういうものではなく運命が「やれ」っていってるようなもの。
カタカムナの「カタ」と「カム」って内蔵秩序(implicate order)(=カム)と顕前秩序(explicate order)(=カタ)との関係なのかもしれないなぁ。そして生命構造はカムから生まれるのだろうなぁ(感じることができれば)