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コガタノゲンゴロウ案件、生物多様性センターにメールして指示を待つことにした。中干しされちゃうとみんな干からびちゃうし、4面コンクリ&ブロック護岸で蛹化の土壌もほぼないから全滅しちゃうかもなー。今週末に雨ふって増水して水路に流れちゃったらどうにもならんだろうな。。。なんとか助けたい。

島根、鳥取、早めの避難を!無事何事も起きないことを願います。
https://www.asahi.com/articles/ASP772DM3P76UTIL04B.html

そういえば2019年に近くのコンビニの横でコガタノゲンゴロウの死体を初めて見た。(人生初だった)。その時もなんで?と思ったが後で聞いたら平井のあたりにいるという話も聞いた。先日、小野の山近くの水田見に行ったけど生物相はたいしてよくなかった。希少種なのに都市部近くにいるの不思議。

子供の頃はまったく興味なかったガムシを飼ってみてその生態の面白さに気付かされた。ガムシの食欲は物凄くあっという間に水草や藻を食べ尽くしてしまう。大型水生昆虫が生息するにはその食欲に見合うだけの豊かな環境が不可欠というのを実感した。そしてガムシの幼虫もむちゃくちゃ面白い。

「バランス・調和が大事」というと当たり前のように聞こえてピンと来ない人が多そう。調和を保ち続けることって常にセンシングを行って微調整を繰り返し続ける行為でだし、そもそもセンサーが機能してないと成立しない。何もせずに「バランス」は保てないので高度なんだけどな。

四国で田舎度高そうなのにタガメやらゲンゴロウやらが壊滅的にいなくなったのはなぜかと考えてみたが(1) 急峻で水田がそもそも少ない、(2)傾斜地で柑橘栽培が盛んなので農薬が多く使われ水の流れとともに流入して壊滅した、というのが臭いと思っているがすでに考察した人いないかな?

ここ数年考えているのはまさにこれ(映像化してみたい)。「自分」だと思ってる肉体は最終的にはまた他の生へと繋がる。庭の生命の連鎖を見ていてもいつも感じるし、輪廻転生とか言わなくても科学的にみてもまったくその通りなんだよね。https://qr.ae/pG47ya

今年の四国は梅雨前線に少し無視されてるのかな?と思うくらい雨降る降る詐欺が多いかもしれん。石手川ダムの貯水量は90%切っていた。

「人の生存と豊かさ」に囚われて様々なものを犠牲にしてここまでやってきたけど、結果的に自身の生存の危機にさらされているということなのか。人の「意志」を「保身」のために使うと最終的にはいい結果にならないということなのだろう。「意志」は「世界の保全・回復」のために存在するのではないか。

人が行う人のための行為のほとんどが「構造破壊変換」行為なんだ。なぜなら「構造の保全」ということを考えておらずその時、人の頭の中にある「目的の達成」しか見えていないから。構造や自然を破壊しようなど思ってなくても結果的に破壊してしまう。それは「人が周囲の世界とつながっていない」ため。

「褒めるは上から目線か」問題。褒めるという行為による依存性を回避したいのかな。自分は誰かの何か(子供でも大人でも)を見て「凄い!」と言ってる。褒める(相手への行為)ではなく自分の感情を表現してる(つもり)。https://qr.ae/pGPYE4

「傍流志向」というキーワードが浮かんできたので、少しまとめてみた。https://scrapbox.io/tkskkd-world/%E5%82%8D%E6%B5%81

今年の頭くらいに数秘術にハマってPythonで鑑定スクリプト書いておいたのだけど、また使う機会があったので今度はさくっとWeb化してherokuとかに置いて自分で鑑定できるようにしようかなぁ。フロントエンドだけで完結するように作り直してもいいかもしれない。

生き残るための変化と、さらなる表現のための変化は違うのではないか仮説。リアクティブな変化ではなく生を全うしようとするための変化。同じ変化でも両者を混同すると本質が見えなくなるのではないか。

昨日から、"Don't Think, Feel"のことを"DTF"と略して呼ぶようにすることを決めました(特定の人物との間に限る)