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今なら『U理論』を読んだら、出版当時よりも「わかる、わかるぞぉ」と読める気がする。チャレンジしてみようかなぁ。

自分のライフテーマは「「すべてがありのままひとつにつながっている」ということを皆が「感じる」」を実現することだと明確化できた。これまでやってきたことはすべてここに収斂される。思考のレベルで理解するのでなく「感じる」というのがポイントだなぁ。

すごい話だなぁ。無事にジャムセッションが実現できるといいですね。https://www.cnn.co.jp/showbiz/35178163.html

3日間の研修が終了。むちゃくちゃ濃かった〜。人=自然=美。どんなに傍から見たらトンチンカンな人の振る舞いでも必ず合理性があり、それが生まれている仕組みや理由を理解することで「人間って美しいね」と心底感じられるのだということを実感。

いいものを作りたいというプログラマー側の願いと、顧客に喜んでもらいたいというビジネス側の願いの純粋さが合わさることで本当の全体性が生まれるのではという仮説。プロセスよりまずこっちが先であり純度低いとある意味手遅れ。イミテーションは本物にはなれない。

2004年頃になぜか買って読んでいたけどわかるようでわからなかった『パワーか、フォースか』がようやく書いてあることが腹落ちしてきた。XPやスクラムの価値に勇気があるのはそれが人間のエネルギーがパワーに変わる最初の意識レベルだからなんだよね。でもそこはまだ始まりに過ぎない。

正しい、正しくないで世界を分けてしまうことの可能性の損失にもっと気づかないといけないのだなぁ。常に「そこにある」から始めないと歪んだ認知でことを進めてしまいそう。「あるものがある」はマントラ。

「何でも言い合える」を強調する人はもともと人に意見を言う・フィードバックをもらうことに抵抗や痛みがない人が多い気がする。でも「相手に意見を否定される(と捉える)」ことを極端に恐れる人もいる。そういったそれぞれの持つ痛みがわからないことには真の安心安全は作り出せないのではという仮説

それぞれの人間が恐れている不安・恐れは、その人が回避したい痛みに依存し、その痛みは人によって違う。そこをちゃんと見ていかないと、一方的な価値観・思い込みでは本当の安心・安全の場作りはできないのではないかなぁ。

安心安全の場では「何でも言い合える」という側面がフォーカスされるが、それ以前に「それぞれの不安・恐れが解消されている」ということが大前提であり最終的に目指す状態であり「何でも言い合える」は結果でしかない。「意見が言い合える」に囚われるとそういった場は作れないよね。

今日は9:00-17:00までセミナー参加、その後夕飯挟んでミーティング2本入れたらヘロヘロ。サステナブルではない。寝て回復しなければ。。。

わかる。。。。でもむしろ残っていても絶版扱いで新訳出なかった場合もある気がするので、今の世界線をベースに豊かにするのがいいのかもしれないとも。https://twitter.com/takahashim/status/1448839424628822017?s=21

「変わらなきゃ」が恐怖や不安から駆動すると本当に良い変化にたどり着けるのか?という観点をほっていこう。「アジャイル」といってもこのスタートの意識が違うと、きっと違う結果になるという仮説。

枠組みは必要なくなったら外してしまえばいいと思う。コンクリートの型枠も固まったらとっちゃうしねぇ。枠組みに囚われていると大事なものが見えないかもしれない。

森と川と人とのつながり。長期視点で見ないとわからないし、全体視点がないと立ち行かない。必読。https://esse-sense.com/articles/23