Skip to main content

ジュンク堂まで走って本を買いに行った帰りにイオンに寄って買い物をしたのだが本3冊に加えてリンゴ6個、コーヒー豆2つ、ギー1つに加えて鳥モモ3つを頼まれて買って背負ったがスチロール容器が割れて汁が漏れそうになってた。少なくともスチロール容器の肉系買うときは走って行かない方がいい。

しばらく使ってないうちにヤマトのファミマでの荷物受け取りのやり方が変わっていて少し混乱した。ファミポート通さなくて良いのは改善なのかな?しかしどう変わったのかがわからないと不安だね。(レジで聞いて正解)

ゲド戦記、2巻まで読んだので次は3巻の再読へ。予想通り2007年当時よりも刺さる言葉が多く目につく。人生経験したせいかなぁ。次も楽しみ。

不用意なクラス化と無理なリファクタリングの結末が悲劇的に描かれていた。

https://twitter.com/MinoDriven/status/1380773721032433674

APL, Timeless, Oregonまでを参考にするのは普通として、NOOに行き着かない状況を「NOOの壁」と名付けたい。

2012年に始めたランをふりかえってみた学び

2 min read

はじめに

自分が走り始めたのは2012年5月からだ。その年の年末にどうだったかをFacebookでふりかえっていた

たまに新しく知り合った人に「若いときから走ってたんですか?」と聞かれることがある。実際は学生時代・社会人時代ふくめほとんど運動はしていなかったし、ほんの10年前は会社の同僚に腹を触られてぷよぷよの腹を確認されるほどだった。

今読むと、当時、何をきっかけで始めたのか、何を感じていたかがわかって興味深い。FBにおいてあっても人の目に触れないのでこちらに転載しておく。

(…以下、2012年末のふりかえり本文)

2012年ふりかえり(ランニング編)

昨年は、なんといっても走りはじめたのが一番大きな変化だったので、今年のふりかえりとして、ランニングをふりかえってみたいと思う。

まとめ

ランニングを始めたことで、自分の中で色々なものが変化していき、人生が豊かになった。

走行距離
5月 24.1km
6月 110.6km
7月 149.2km
8月 110.5km
9月 92.6km
10月 177.7km
11月 151.5km
12月 151.2km
合計 967.5km

走るきっかけ

きっかけに「これ」というものはなく、本当になんとなくだった。ただ、そこに至る小さな兆しは、いくつかあった。

愛媛マラソンに普通の人たちが大勢走っているのを見たこと、スポーツやるならトレイルランニングをやりたいなと思っていたこと、嫁さんが活動量計を使って毎日楽しそうに歩いてダイエットしていたこと、体重を落したいなぁと思っていたこと、友人がランニングしていたこと、などなど。

最初に走ったのは5/19だった。朝起きて食事前に3kmほど、まずは普通のスニーカーで走ってみた。今考えると6分44秒/kmのペースなので、かなりゆっくりのペースだったが、それでも次の日は足全体が筋肉痛で歩くのも辛いくらいだった。早速ランニングの入門書金哲彦のランニング・メソッドを購入し、準備体操の仕方、走り方を学んで試した。

一週間後の5/27に初めて5kmを走ってみた。5kmを走るなんて、高校の体育の授業以来だったが、思ったより楽に走ることができた。そんな調子で、少しづつ無理ない範囲で距離を伸ばしていき、20日後に8km、一月後に10kmを走れるようになった。

若い頃からスポーツに親しんでいる人にしては当たり前のことかもしれないけど、社会人になって運動と縁がない生活をしていた自分のような人間にとっては、この変化はまさに変革に値する出来事だった。

BORN TO RUN

走り始めてからランニングに拍車がかかったのは、間違いなくBORN TO RUNを読んだことにある。

この本には「人間は走るために進化してきた」という学説の存在、スニーカーなどの靴のクッションが実は人間の本来の走り方を変え、多くの怪我を引き起してきたという学説の存在、メキシコの走る民族タラウマラ族とアメリカ最強のウルトラランナーのスコット・ジュレクが繰り広げるウルトラマラソンのレース、という3つのストーリーが複雑に織り成された構成になっている。最初は読み辛いが、後半は一気に読み進めることができる。

このBORN TO RUNを読んで「走ること」の意味などについて考えさせられ、一層「走る」という行為自体にのめり込んでいった。その影響もあって、ランニングシューズは、New Balanceのミニマスシリーズ(クッションが薄く、爪先と踵の高低差が少ない)を愛用している。

ボディハックとして、習慣として

ダイエットとしてのランニングは相当な効果があったと思う。5月と比べて5kg以上体重が減った。それなりに食べたり、飲んだりしても「翌日走ればチャラになる」という心理的安心は大きいと思う。

今はダイエットは落ち着いたので、走ること自体の楽しみ、効果の方が比重が大きい。走ることで、仕事などで混乱した頭の状態をクリアにすることができる。仕事で行き詰まると、走りにでて心を落ち着けたこともあった。走っている最中は、フォームのことを意識したり、ペースのことを意識している時間もあるが、逆に完全に走ること自体を意識しないで無の状態になり、その中で仕事で困っていることなどを集中して考えていることもある。この状態は机に座っている時よりも雑念がなくフロー状態に近いと感じる。

走ること自体は習慣化したと思う。これは走り始めた時期もよかったのかもしれない。初夏の涼しい朝、真夏も日の出前は気持ちよく走れ、秋はランニングに最適な気候が続き、毎日でも走りたい気分だった(休息日を設けていたので毎日は走らなかったけど)。そのためか、ランニングが習慣としてすっかり定着し、今時の手足が凍えるような時期でも、走ることに抵抗がなくなった。

仕事で出張が続くことも多いのだけど、出張には必ずシューズとウェアを携帯していき、知らない土地で走ることを楽しみとすることもできた。(これは走り始めではまたの人がよくやる光景らしい)

何より、走って体を動かし汗をかくということが、これほど身体にも心にもよい影響をもたらす、ということに気づけたことが一番の財産だ。脳を鍛えるには運動しかない!」という書籍もあるようなので、そちらも読んでみたい。(注:当然読んだ)

レースに出てみて

走り始めた頃はまったくレースに出ることなどは考えていなかったのだが、たまたま見つけた10月のハーフマラソンレースにエントリーし参加してみた。練習ではハーフ(21.1km)の距離を走ったことがなかったのだが、何とか走り終えることができた。

そこでわかったのは、レース中は他人との競争ではなく、自分との戦いであるということだった。如何に自分のペースを貫いていくか、当たり前のはずなのに、忘れかけていたことにランニングによって改めて気づいた。

12月も地元のハーフマラソンに参加し、なんとか2時間を切れるくらいでは走れることができた。次は2/3のハーフマラソン、2/24にフルマラソンに挑戦することにした。フルマラソンは未知数で、準備期間も足りるのかわからないけど、とりあえずはサブ4(4時間以内)を目標に、挑戦してみようと思う。

今年の抱負

フルマラソン以外にも、昨年できなかったトレイルランニングをしてみたいのと、ラン仲間を作って走るというのもやりたいなぁとも思う。体ももう少し絞りたいなぁ。 最近走ると膝が痛むのが難点ではあるけど、無理しないでうまくやっていきたい。 後は本格的にベアフット(裸足)ランニングに取り組んでみたいと思う。裸足でどこでも走れるようになったら、また新しい世界が見えてくる…気がしている。

(…2012年のふりかえり、ここまで)

2021年時点の学びと補足

学び1: 休むこともトレーニング

実は、この後に腸脛靭帯炎になり、しばらく走るのを休むことになる。いわゆるオーバーユースだ。そのため、フルマラソン挑戦は一年後に延期することになった。走るのにハマった人がやりがちなパターンなのでよくあることなんだけど、痛みというフィードバックを無視して続けるということがどんな結果をもたらすのか?ということを学んだ出来事だった。

学び2: バランス重要

走ることにハマりすぎて、上半身の筋肉がガタ落ちになったのも印象ぶかい。妻に「ダルシムみたい」と言われてから、上半身の筋トレもしはじめたのでやはりバランスが大事だということに気付かされた。

逆に、上半身はムキムキでも、足が細いと「バランス悪いなぁ」とも思うので、上半身と下半身ともにバランス良く鍛えたい。理想はブルース・リーかな。

ただの筋トレは飽きちゃうので、カリステクニクス・パルクール的なストーリーとワークアウトでモチベーションを上げてる。

バランスといえばカロリー収支のバランスも大事だ。食べるということは外部からエネルギーをいただくことであり、そのエネルギーは生きるため・使うためだ。食べてばかりで動かないのがどれだけ無駄なのかを実感した。また、人は動物なので動くことでバランスが取れる存在だ。人間は身体を動かすことで進化してきた。

そういう意味で娯楽で走るのも究極を言えば無駄なのだが、それでも動かないよりはマシだ。

学び3: 身体を使ってあげる

その後も腰を痛めたり、足の突き指したり、怪我はいくつかあったが、それ以外は走る前とは比べ物にならないくらい好調になった。筋肉もそうだが心肺機能を使うということが人間にとって重要だということを学んだ。

人間は酸素を取り込み、化学変化でエネルギーを生み出して動く構造なので、そのエンジンをちゃんと使ってあげて機能低下しないようにするのが重要。

 

学び4: 「人類は走るために進化した」というのはどうやら本当っぽい!

フルマラソンだけでなく、100kmマラソン、ウルトラトレイルなどにも挑戦・完走するようになり、走ることは趣味というよりは人生の一部となっている。

ウェアもシューズもそろえずに飛び出して近所の3kmの一周から始めてものすごい筋肉痛になったのが本当に始まりだったが、そこからBORN TO RUNに書いてあったこと(靴にクッションはいらない、人は走るために進化している)を「フィクションではなく本当だった」を実体験で検証できたのは大きい収穫だ。

ロードレースに限っていえば、靴のクッションなど本当になくていい。身体がその走り方に慣れていさえすれば怪我などせずに走り切ることができる。

しかし、まだ実現していないのが、裸足でマラソンを走ること。裸足ランは怪我をしてからやめてしまった。自作の草鞋で走る練習はたまにやっていたし、普段の靴はベアフット系・薄ぞこ靴しか履かないのだけど、裸足は久しくチャレンジしていなかったからだ。

しかし、昨年、Skinners2を入手して最近はもっぱら靴下ランがメインになっている。裸足感覚は非常に高く、荒れたアスファルトだとかなり痛いくらいだ。

この調子で練習していけばフルマラソンを裸足で走れるのでなかろうか?という印象を持っている。レースだとついタイムを気にして裸足に振り切れないのだが、コロナでレースも開催されないので、今年の秋くらいに野良でチャレンジしてみようかな、と考えている。

バイオミミクリで生物を模倣して色々イノベーションだってのはいいんだけどアイデアを借りた生物のためになにかしてるのかな?もし何もしてないならアイデア泥棒と言われても言い返せない気がする。カタツムリの殻から学んだならカタツムリ保全の支援とかしたほうがよさそう。

上橋菜穂子さんもル=グィンさんも先住民への眼差しがあっての小説だから自分の心に刺さるのだろうなぁ。先住民の教えとか言い伝えとかを俯瞰してみれる文献はないのだろうか?一個一個追うのは大変だよなぁ。。

庭をいじるとたいてい翌日にはムクドリが訪れてなにやらついばんでいる。ムクドリはつがいで訪れるので見てて可愛いんだよね。でも洗濯物を干そうと近づくと逃げていってしまう(畝の横が物干し台)別に何もしやしないからそのままいてくれて構わないのだけどね。鳥に気持ちが伝えられればいいのにな。

昨日は菜園を整理したり苗を植えたりしてたらそれだけで14Kも歩いてた。ポカポカしていて本当にいい畑日和だったなぁ。

ゲド戦記1巻を久しぶりに再読した。力を持つものは力に溺れるのではなく知恵を持ち世界の均衡を保つことに再び気づけた。そして自分の影と対峙して合一するテーマは、自分の見たくない部分と向き合って戦うのではなく受け入れ統合するという実存的変容を描いていたことを再認識した。

昨日はじめてジブリのゲド戦記を通しで見たので公開当時に宣伝で配られてた「ゲドを読む」を久々に読み返していた。この小冊子でハマって映画そっちのけで原作を一気に読んだのだったなぁ。久しぶりに全巻通して読んでみたい。当時(2007年)より人生や先住民について学んだので楽しみ。

ほんとソフトウェアも道具も使ってみないと手触り感がわからない。カタログスペック、フィーチャーリスト、ユースケースから事前に見て「これは」と思っても実際に使ってみると「これじゃない」がいくらでもある。今はサブスクがあるから試しやすいのはいい時代にはなったのだなぁ。

人はなぜ会食を我慢できないのか?Do Foodはパターンでもあるので重要なのは重々承知だが、会食という手段に囚われ過ぎていないだろうか?会食は目的ではなく手段であるとするなら、何を目的とした手段なのか、という観点を真面目に考えてほしいと不真面目に思った。

人は成熟していくとどんどんエゴがなくなっていき、他人の評価や名声や承認欲求とかがなくなっていき目立たなくなってゆく。そういった人達で脚光を浴びた人だけが世に取り上げられて話題になる。でもきっとそういった人の後ろに何倍もの成熟した人達がいるのだろうなぁ。