本文と関係ないけどここのgood-cheap-fastのトライアングルいいな。https://
すぐに過去を否定して新しいものに移ろうとする癖はどの痛みからなのかを自分で見ていかないといけないなぁ。否定も肯定もなしにただ移りゆくだけなのに。何かを否定したくなるのは自分の何が分離してるのだろうなぁ?
2007年にサステナビリティと言う概念に出会い、システム思考、ナチュラルステップ、パーマカルチャーを学び始めた頃と比べたらSDGsが数多に広まっている今はキャズム超えたのかなと思わざるを得ない。もちろん表面的な部分も多いのは事実だろうけど時代の流れを感じる。
アジャイルマインド(思考)でななく、アジャイルハートあるいはスピリットが必要なんだなぁ
アジャイルとスピリチュアリティという勉強会でも始めようかな。XP2ndがここに一番近い。
自分は人から離れられるのが怖いので、それなら自分から離れてやる!という回避行動をしていた。「痛いのが嫌だから、少しでも痛みが楽になる」方策を選んでいたが結局痛みは再生される。痛みを回避するというそもそもの立ち位置を見直さないとこのループから逃れられない。
身体を自分が乗る車にたとえるならば、常に見栄えのいいピカピカの車にノリたい人もいれば、見た目ボロでも走ればいいし気にしないという人もいるので、各自「人生を目一杯ちゃんと走れる」ようにしておけばあとは好みでよいのではないだろうか。(機械論的たとえではない)
進まぬ仕事に自分の無力さを感じてばかりだが、あと一月なんとか走りきりたいなぁ。年末年始ゆっくり過ごすために。。。
この記事面白いね(1P目だけ)。相対見積からはじめた人が「絶対見積がいい」って感じた結果なのかな?「POが開発リーダーに指示する」というのもじわる。。。 https://
1人で学ぶのはいいのだけどそれを話せる人がいないとつまらないなぁ。話しあって高め合いたいという欲求は常にある。それすらも手放せるのかなぁ?
何をすれば良いのかはコンテキストが決定する。まずよく見て、何があるのかを見極め、一つずつ試していく。一度に複数のことをやってはいけない。コンテキストは刻々と変わっていく。そこに追従するために同じようによく見て、あるものを感じ、一つずつ試していく。あなたもコンテキストの一部。
世の中には「〜しなければならない」なんてことはひとつもなく、すべて単なる思い込みに過ぎない。どんなことも「自分の意志で〜を選択する」とすることが可能だとNVCで学んだ。すべては自由意志に任されている。
DXだーって言って色々のところに目移りするのでなく、自分たち自身をよくみつめてから動けばいいんじゃないかな。何をするかより、何がいまあるかの方が大事。
洗濯物を干すという行為に幸せを見出すようになったのはいつ頃からだろうか?子供たちの洋服、学校の体操服、お気に入りの洋服、その大きさに成長を感じる。子供が自立して数が少なると寂しくなる。屋外で干していると感じる季節。真夏の暑さ、春の暖かさ、雨の後の水滴、寒い朝のかじかむ指先。
昔の自分を顧みると余暇をすべて仕事に費やしていた時期があった。直接仕事でなくても調べもの、夜も残業か勉強会、土日はイベント。そんなんでよく家庭が回っていたと思う。妻に皺寄せ行ってたと今では妻と話せるようになった。恒常的に余白をすべて仕事に費やす時は立ち止まり自問してから進みたい。